現在『スヴェーデンボリ用語辞典』に取り組んでいます。そこで気づいたことがこの記事を書くきっかけです。日本語では、ある言葉が単数であるか複数であるかをそれほど意識しません。単数・複数の違いは文脈からわかるようになっています。そして代名詞なら、「それ」と「それら」また、「彼」と「彼ら」のように、また一部の名詞なら「山」と「山々」、「木」と「木々」などで表わしてその違いを示すこともありますが、通常は「犬」といえばすませて、「犬」か「犬ども」の区別はしません(というよりも「犬ども」と言えば、別の意味合いを持ってきます)。
ところが『用語辞典』では見出し語が異なっています、すなわち「善」の見出し以外に「善(複数)」の見出しがあります。これは、「真理」や「快さ」等々でも同じです。

なぜ、見出しが異なるかといえば、数が一つか多数かではなく、意味する内容が異なるからです! 上記の「別の意味合い持ってくる」例としては善(bonus)の複数(bona)には「善行」以外に「財産」の意味もあります。
一般論を述べます。この例のように単数は抽象的な内容を表わします(性が〝女性〟の場合は特にそうです)。英語なら不定冠詞「a」をつけるところでしょう。ところが複数は(それも〝中性〟の場合)個々の「具体的な事柄」を表わします。善でいえば個々の「善行」です。善が具体化されたものです。もう一つの例として形容詞「快い」をとれば、中性複数の実詞なら「愉快な事柄・楽しいこと」などを意味します。「美」が複数なら「美しいもの」です。
それで訳すときは、単数なら「善」のままですが、複数の場合「善いこと・善いもの」などとして、より具体的ものを指していることがわかるようにしなければなりません。
なお、『用語辞典』では、「真理(複数)」と、ある語の後ろに複数を付けて表記をすることにしました。

 (鈴木泰之)『SPSC会報』第6号に掲載